【代表】
梅谷 哲也(うめたに てつや)
生年月日:1977年7月20日
【資格および経歴】
柔道整復師
柔道整復学専科教員資格
柔道整復師を目指したきっかけ
高校時代にサポートしていただいた先生との出会い
高校3年の春、全国大会の直前に大ケガをしたさいに、親身になってサポートしていただいた柔道整復師の先生との出会いが、大きなきっかけとなります。
全国大会の直前でまさかのケガ
柔道に明け暮れていた私(梅谷)は、3年の全国大会1週間前に練習で右肩を脱臼し、地元の病院を受診。
担当したお医者さんからは「大会の出場はあきらめてムリはしないように」と伝えられ、帰路につきます。
努力をムダにしたくない一心で整骨院へ
「今までの努力がムダになる……」と落ち込んでいた時に、藁にも縋る思いで近所の整骨院への通院を決断します。
相談にのっていただいた柔道整復師の先生には、1週間後の大会に間に合うように、あきらめず治療していただくことに。さらには、結果を出せるように、試合の当日には休日返上で肩のテーピング、施術をしていただき、なんとか大会に出場できるまでに回復しました。
高校卒業後はオリンピック出場を目指すが……
高校卒業後、オリンピック出場を目指し、実業団選手として27歳まで柔道を続けます(出場はかないませんでした)
その後、高校時代にお世話になった先生とおなじく、柔道整復師の道をめざすことになります。昼間は会社員として働きながら、夜は専門学校に3年間通い続け、無事に免許を取得しました。
「お医者さんの判断はまちがいではない」でも……
誤解のない様にお伝えすると、私のケガによりストップをかけたお医者さんの判断は、まちがいではありません。
そのいっぽうで、可能性がゼロではないのも事実です。
1%でも可能性があるなら、その可能性を10%。20%……と引き上げていくのが、私たちのような治療家の役目だと思っています。
尾山台駅前整骨院が開業にいたるまでの経緯
免許を取得後は希望の整骨院に勤務
免許取得後は、私の希望でもあった、スポーツ選手のケガを中心に対応している整骨院に勤務することに。
6年間の勤務経験のなかで、過去の自分と重ねてしまうような患者さんと何度も出会います。
過去の自分と向き合うなかで
過去の自分とおなじような経験をした患者さんと出会うたびに、
- すこしでも長く競技を続けられるようにがんばってほしい
- 試合で良い結果が出せるように
- 肉体的な面だけでなく精神的にも強くなってほしい
という思いが強くなります。
自分の治療院から全国へ
「いずれは自分の治療院で、柔道にはげむ子どもたちをサポートして、全国でも通用する選手を育てたい」
といった考えにいたり、独立・開業を決意します。
尾山台駅前整骨院の役割
尾山台・等々力・玉堤で
- ケガをふくめた体の症状
- 生理痛など婦人科系疾患
- 小児アトピー
にお悩みの方を中心にサポートしております。
一見すると、②・③については私の経歴と関係ないように思われますが、子どものケガには親御様、とくに母親の存在が大きな影響をおよぼします。
母親=女性のサポートが子どもたちの未来にもつながる
子どもがケガで悩んでいるときに、母親が体の悩みを抱えていては、満足にサポートできない場合もあります。
ちかくにいる立場にもかかわらず、サポートできなければ、お互いに心苦しくなるのではないでしょうか?
このような事態を防ぐためにも、スポーツ選手のケガとあわせて、女性の体のお悩みと向き合う治療院として活動しております。
さいごに
ケガによる挫折で、後悔だけが残るような人生を送ってほしくありません。とくに中高生の多感な時期の大きな挫折は、今後の長い人生においてさまざまな影響がでてきます。
ケガにより落ち込んでいるときには、1人だけで抱え込まず、我々のような専門家にご相談ください。
また、選手をいちばんちかくでサポートする立場でもあるお母さま方にも、ご自身の体調に気遣っていただきたいと考えております。
すこし長くなりましたが、
- お子様のケガや体にかかわる悩み
- ご家族の体のお悩み
- ご自身の体のお悩み
があれば、小さなことでもかまいませんので、尾山台駅前整骨院までご相談ください。
須田 大貴(すだ だいき)
生年月日:1994年11月25日
【資格および経歴】
柔道整復師
ハワイ大学臨床解剖実習課程修了
柔道整復師を目指したきっかけ
学生時代、ケガをしたときに、柔道整復師の先生にサポートしていただいたのが、柔道整復師をめざすきっかけとなります。
当時の須田は空手の練習中に指を骨折(全治3週間)してしまい、練習どころではない時期がありました。
大事な全国大会の直前だったこともあり落ち込んでいましたが、柔道整復師の先生に治療していただいた結果、出場できる状態に。
結果、優勝……には届かなかったものの、後悔はありませんでした(個人3位 団体2位)。
このような経験から、
- 直接、人とかかわり役に立てる仕事がしたい
- 過去の自分とおなじような状況の人を救いたい
と考えるようになり、治療家としての道を志します。
怪我以外の症状を見るようになったきっかけ
実は私は学生時代から23歳ころまで重度の体調不良者だったのです。
誰から見てもわかるし、自身の症状もありました。
頬は痩せこけ、夜に寝ていると過呼吸で起き上がり(あれは死ぬんじゃないかと思いました)、常に喉に違和感があり、常時吐き気がする。
そんな、状態の超体調不良者です。
なんでそこまで体調を悪くしていたのか。
というのも、勤務時間が16時間前後に及ぶこともあり睡眠時間や、食事がおろそかになっていました。
朝7:00ー24:00まで勤務した後、勉強をして寝るという日々をずっと過ごしてきました。
勿論そのかいもあり
・技術や知識を増やしていくことはできましたし
・若くして通常は10年以上かかる場数を三年で踏むこと
何よりも臨床において大切な経験というものを得ることができました。
しかし、その分自身の体調というものを犠牲にしました。
日曜日が休診なのですが、土曜日の診療が午後七時に終わり家についてからの記憶がなく起き上がると、日曜日の午後二時。そんな感じの生活を送っていました。
勤務中は、
- コーヒーがぶ飲み
- ご飯が食べられないときはプロテイン
- 早食い
さすがに、これでは死ぬと思い自身の症状を研究し施術と生活習慣でどうにかできないか考えました。
いろいろと調べてみると
自分の症状とその原因を学術的にしっかりと落とし込んで考えていくと、いろいろとわかることがあると同時に
(あれ、日本では治らないと言われているけど、海外だと手での施術で治るって書いてある。。。)
どんな施術で治るのか調べていくと、当時日本では珍しかった内臓への施術や頭の骨の施術などが記載されていました。
そこから、内臓・頭蓋骨・骨格・筋肉をすべて施術する海外のテクニックの
- オステオパシー
- アプライドキネシオロジー
- カイロプラクティック
その他、など海外の施術の勉強、練習、実践に取り組んでいきました。
中には、本場フランス人を講師に勉強を行うこともありました。
幅広く体を診るようになって変わったこと
いろんな技術を身に着けるということは、身体の状態がもっと広く深く診れるということ。
患者さんは話さないけど、
言いにくいかもしれませんが、
もしかして、、、
こんなお悩みあったりしますか?
と聞くことも増えてきました。
そのように施術していく中で、
などの相談や施術をするようになりました。
深く広く診れるようになると、その分その患者さんの人生に関わる分岐点になることも増えてきました。
分岐点
患者さんにとって僕との出会いが人生の分岐点となる方もいらっしゃいました。
それは、人生が一変した時だと思います。
初めてそう思ったのは、不妊症の患者さんがご懐妊された時でした。
今でも覚えているのですが、流産を繰り返していて、赤ちゃんができるかわからないという感じの患者さんでした。
悩みを聞いて、施術を行い赤ちゃんができたとき患者さんは報告しながら僕の前で泣いていたのを今でも覚えています。
また、他の症例だと
難病の影響で季節の変わり目に二週間の入院をしていた患者さんがいました。
このままだと、内臓の炎症の影響で人工肛門になるかもしれない。僕の同級生でした。
治療を行い入院することもなくなり、派遣のバイトしかできなかったのが就職できるまで回復しました。
薬の影響で無精子症になる確率が高かったのですが、今では子宝に恵まれ地元で幸せに暮らしています。
このように、人生の分かれ道に僕が立ち合い力添えをしていくという責任感のある仕事に僕はすごくやりがいを覚えています。
適切な施術や提案をいたします
「もう治らない……」と思い込んでいる症状でも、適切な施術や提案により、改善するケースもめずらしくありません。
それは、施術をする人によって考え方が違うからです。
例えば、ある施術者は骨盤から見立てをすることもありますが、骨盤が悪くなる原因が足首にあると見立てることもありますし、股関節にあると見立てることもあります。
あきらめる前に、さいごのひと踏ん張りのキッカケを提供いたしますので、お気軽にご相談ください。
岸本 一真(きしもと かずま)
生年月日:1999年4月29日
【資格および経歴】
柔道整復師
柔道整復師を目指したきっかけ
高校2年時、右目にボールが当たり……
野球部に所属していた私(岸本)は、高校2年時、夏の大会直前に右目にボールが当たり、視野・視力ともに大幅に低下してしまいます。その後、約4ヶ月間グラウンドに立てない日々を過ごしていました。
集大成となる3年最後の大会直前には、練習中にボールが右親指に当たり骨折。出場は、絶望的な状態となります。
結果、選手生活の最後の2ヶ月は、サポート側にまわる以外の選択肢がなくなります。
『人の支え』になることにやりがいを実感
悔しい思いをした2ヶ月間でしたが、いっぽうで『人の支えになる』ことにやりがいを感じた自分に気づき、柔道整復師免許の取得を志します。
皆様をサポートするためのこころがけ
体のつらさはとりのぞけても、気持ちが不安定なままでは本当の意味で「治った」とはいいきれません。
そのため、ただ症状をみるだけでなく、仕事や家事・育児などのストレスも和らげられるように、皆様のお話に耳を傾ける姿勢を心がけております。
「来てよかった」と思っていただける治療院として
尾山台駅前整骨院に
といっていただけるように、日々、自己研鑽しております。
体についてのお悩みやご不満があれば、尾山台駅前整骨院までご相談ください。